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忘れられない出来事
2011年6月~7月の記録


あと少しの辛抱なのでしょうか?

2011年6月6日

「セロテープがないから もうだめ だめ だめ だめ! だめなんだ あああ――――!!!!」 …折り紙とサインペンを広げて、黙々と遊んでいたはずの娘が、今まで聞いたこともない声をあげて突然 泣き叫び出したのです。

すると足を大きくバタバタさせ、大粒の涙を流し、いつまでも泣き止みませんでした。そばに行って、なにも言わずに抱きしめてあげると、私もすごく悲しくなってきて一緒に泣いてしまいました。

「すきなところにね このおはなを ぺたっとはれないの…」 「たいせつにつかったけど どうしても どうしても たりないの」… 娘は少しだけ落ち着いて話しはじめました。

きっかけは、"セロテープがなくなってしまったこと"なのかもしれませんが、娘は自由に好きな遊びができない、この毎日の全てに奇声をあげて 我慢の限界を訴えているのだと直感しました。ただの我がままとは感じられませんでした。

欲しいものを買いに行くのに、週1回訪れる主人の定休日を待たなければならない。私は10数キロの息子を抱っこして、往復約2時間の道のりを自分も一緒に歩かなければならない。それを娘はちゃんと知っていたがために、相当、我慢をして過ごしているのだと思いました。それでももう、限界が来ているのかもしれません。

我が子に こんなにも我慢をさせてしまい、親として不甲斐ない気持ちでいっぱいです。 あと少しの辛抱なのでしょうか? 住む場所の見込み、家の修繕か 高台への移転・新居購入か? 支援金や義援金支給日、仮設住宅への入居日、通園の再開見込み、私の仕事再開時期…。何かひとつでも近い将来の見通しがたてば、もう少し、気持ちに余裕をもって過ごせるのだと思います。大人だって、我慢の限界に近づいているのかもしれません。


景色が戻ってきました!

2011年6月9日

石巻災害ボランティアセンターから、15人のボランティアさんが我が家の掃除に来て下さいました。丸々1日をかけて、瓦礫だけではなく、ヘドロや腐った米粒など、家の中、庭の隅々、更には境界線の溝に至るまで、水道が復旧していないなか全ての清掃を手作業で行って下さいました。

立ち会いをした主人も一緒に作業をしました。
主人は帰宅してすぐ、土埃と消石灰で汚れた手で、見違えるほど綺麗になった我が家の写真を 私達に見せてくれました。

「明日 みんなで ちゃんと見に行くぞ!」
主人はそういって目に涙を浮かべていました。

次の日、家族4人で石巻の自宅に向かいました。 震災から間もなく3か月、はじめて玄関から我が家に入ることができました。部屋に上がる時に思わず靴を脱ごうとしてしまいました。リビングに入り辺りを見回しているうちに、少しだけ木の香りがすることに気付きました。感激のあまり涙が溢れてきました。 「ここにもう一度住みたい!」という気持ちが、強く強く込み上げてきました。

…震災約1ヵ月後の写真と比較します

ボランティアの皆様、本当に本当にありがとうございました。
綺麗になった我が家に立ち、私達は感動と勇気を胸いっぱいに頂きました!

夫の涙には、いつもぐっと抑え込んでいた全ての気持ちが込められていたように感じました。悔しくて苦しくて、やり切れないでいた気持ちの全てです。 誰にも打ち明けられなかった気持ちを皆様と共に作業する時間を通して、解き放つことができたのだと思います。 我が家に来て下さった方以外のボランティアの活動にも感謝申し上げます。 町内の景色が少しずつ戻ってきました。

(上の2枚は ほぼ同じ場所からの撮影です)


未来への手紙

2011年6月28日

今月末、娘は6歳の誕生日を迎えます。ちょうど1年前に、6歳になる娘に宛てた“未来レター”を書いていました。水没した1階に置いていたのですが、押し入れの中のプラスチックケースに入れていたので流失せず、どうにか形を残すことができました。 ちょっと早めのお誕生日会で、家族みんなで そーっと開封してみたところ…!

ところどころ破れてしまいましたが、ちゃんと読むことができました!

----- 「6さいになった きみへ」  
おたんじょうび おめでとう!6さいになったこっちゃんは、まいにちおともだちといっぱい、げんきにあそんでいますか?よっちゃんの、やさしいおねえちゃんになっていますか?ママにおこられないで、ごはんをたべていますか?
5さいのおたんじょうびはかぜをひいてなおったばかりで、すこしだけせきをしていましたよ。6さいのおたんじょうびのひ、どうですか?たくさんたべて、わらって、あそんで、げんきいっぱい、おともだちいっぱいのこっちゃんが、ママはだいすきだよ!
へいせい22ねん 6がつ30にち -----

ひらがなの読み書きができるようになった娘は、私たちにこの手紙を読んで聞かせてくれました。 お友達と元気いっぱい遊ぶ毎日ではないけれど、「ようちえんいったら もっとげんきになっちゃうよ」と、娘は笑って話してくれました。 娘には「7歳になったら読んでね」と、同じようにして手紙を渡しました。 すると主人が、「来年は こっちゃんのお家でお祝いするからね」と、子供達に優しく約束をしてくれました。

生きているからこそ家族皆で迎えられたこの日に、心から感謝します。感謝のしるしといっては何ですが、私たち家族は、たとえどんなに時間がかかったとしても、震災前の生活はもちろん、それ以上の“復興”に向けて、1日1日をしっかりと歩んで行きたいと思います。


子供はよく見ている、聞いている。

2011年7月4日

「つなみできたなくなっちゃったから、きれいなうみものこそうとおもってかいたの!」

娘はとても嬉しそうに描いた絵を見せに来ました。娘が描い青い海には、太陽の光が映し出されているのです。まるで平穏だったあの頃、日和大橋を車で渡る途中、子供達と一緒に眺めた景色です。

子供は本当によく見ているのですね。大人が見せないようにしている風景も映像も、本当はちゃんと見ているのかもしれません。

夕方のニュースはで、仮設住宅が映し出されると、「ひなんじょにいるひとたちあついよね、むしもいるよね、だから、こっちゃんたちよりさきに、かせつじゅうたくにはいらないとね」と話してくれました。

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