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忘れられない出来事
2011年5月の記録


楽しみがいっぱい待っているよね!

2011年5月26日

「あーあ またつなみがくれば ママにたくさん あまえられるのになあ」

娘の無邪気な言葉に、ただ笑ってあげればいいのか、少々小言をお見舞いしてやればいいのか、聞こえない振りをしたらよいのか。 眉間に皺をよせて考える私をよそにして、「まぁ いいか!」と何事もなかったように鼻歌をうたい、娘はお気に入りの塗り絵に再び没頭しはじめました。

「かせつじゅうたくがあたったら  6かいめの おひっこしだね!あたらしいおうちから ようちえんにいけるね!」

そうだ、娘を見習おう、今を素直に感じていこう。我慢の先には楽しみがいっぱい待っているんだよね! …娘のおかげで、私は大切な気持ちを思い出すことができました。

いつ石巻に戻れるのかわからない、いつまでここに居るのかわからない、明日はまた別の場所にいるかもしれない。幼稚園にも行かせられない、お友達と遊ばせてあげることもできない。…親自身も心落ち着かない生活を送るなか、私達大人が、子供達に教えられることはたった一つ、「我慢をして待つしかない」ということだけでした。自分たちにも言い聞かせるように何度も示してきました。


そしていつしか、「我慢しなさい」 「我慢しよう」 この言葉は、「頑張れ、頑張ろう」という意味に変わっていったように思います。娘は、小さな体でしっかりと、この声に応えてくれていたのでしょう。たくさん娘のことを褒めてあげなくてはならないと思いました。私も娘に負けていられません。いつまでも過去の出来事を僻んでなんていられないのです。


どんなに小さくても、必要とされる人に。

2011年5月30日

大津波の犠牲となった、お友達の葬儀に行ってきました。
娘と同じ幼稚園に通い、週に1度の英会話教室で2年以上同じクラスで学んでいたお友達です。 おじいちゃん おばあちゃん 7歳の女の子 4歳の男の子 4人の遺影が並んでいました。お父さん お母さん お姉ちゃん 残された3人の悲しみが、一緒に過ごしたたくさんの思い出と笑顔と共に、私の体中に沁みわたり、言葉にも表情にもなりませんでした。

帰り際、お母さんと手を取り合いましたが、私から伝える言葉は何も思い浮かばず、「がんばろうね」と逆に励まされてしまいました。

私は帰りの車中、もし自分が不慮の事故に見舞われ、我が子たちが“残された家族”となってしまったら?いつか我が子たちが親となり、我が子達が、“残された家族”となってしまったら、この子達はちゃんと前を向いて生きていってくれるだろうか?ということを考えていました。

きっと、家族以外に居場所や役割がなければ、生きる希望や行先を見失ってしまうことでしょう。 どんなに小さくてもいい、いつか、この子達には親や兄弟、家族の繋がりを超えて、どんな場所でもいいから、「貴方が必要とされる場所」を見つけて欲しいと思いました。

どんなに辛く悲しい出来事に遭遇しても、この子達が親となってからも、貴方達が必要とされる場所であれば、生きる勇気を取り戻すことができるはずです。
親として、この子達がどんな境遇であっても途方に暮れないよう、時間をかけてこの気持ち示していこうと思いました。

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