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節目の記録
~2012年3月までの記録


2012年1月1日の我が家

2012年1月1日

2012年元旦。
少し遅めの朝食を済ませた後、家族4人で築山の自宅を見に行ってきました。

ほぼ毎日のように行っているのですが、家族揃って一緒に歩くのは何か月振り?!
…本当に久しぶりの事でした。

遠くから自宅界隈を眺めながら、いろいろな事を話し合いました。

まだまだこれから!ですね!!


震災から10ヶ月

2012年1月13日

生活再建に向けての相談や、仮設住宅での暮らしが私達家族の生活に溶け込み、特別な出来事として感じられる事が少なくなってきたように思う、今日この頃です。自分たちにとっての目標や課題が明確になり、生活の一部となってきたのだと思います。

このブログに記録する事ができない、家計の事やライフプランについては、手書きの日記帳に残すようになりました。

10回目の11日は、今までとは重さが違いますね。


2年目に向けて

2012年2月14日

11回目の11日を迎え、被災した自宅の2階でカレー作りをしました!

11ヵ月振りに、我が家で野菜がコトコト煮えていく音を聞きました。 「カレーできたよ~」 「は~い!!」 私の声、子供達の声。震災前の何気ない日常が、一瞬そこに戻っていたような感じがしました。

この日は水没した1階部分の損傷程度を見て頂く日でもありました。
床下や壁の内側がどうなっているのか?果たしてこの家は“直して住める”のだろうか?


「うわぁーカビが…^^;」 (:左の写真です)

まずは、専門の方にアドバイスを頂きながら、少しずつ気持ちを整理し、先を見定めていきたいと思います。

2011年3月11日。
あれからもうすぐ1年が経ちます。

津波が来なくても、大変な出来事はあります。
それらを1つ1つ乗り越えていくうちに、被災をして大変な思いをしてきたことや、辛く悲しい想いを乗り越えてきたことは、だんだんだんだん…記憶倉庫から引き出そうとすることも少なくなってきます。

子供達にも、きっと同じことがいえるだろうと思います。「忘れちゃだめよ!」なんていっても、これは当然のこととして否めないのだと思います。

私が親としてできることは、何気ない日常のなかで、震災から学んだことを活かす意識を持ち続けることなのかなと考えています。

「うわー!そんなに水道のお水を流しっぱなしにしてたら海が真黒くなるんだからー!!」
…以前、真黒い津波が来たのは、私が水道のお水を使いすぎたからと娘にいわれましたからね。私も気を付けるようにしています^^;


映画のような私の記憶

2012年3月4日

「来週はじっちの日だからね、お寺に行くよ」と、水疱瘡に罹り自宅療養中の娘に話すと、 「ああ~っ!3がつ11にちだ…つなみくる~いやだぁ~」 …冗談なのか本気なのか分かりませんが、そんなことを言われてしまいました。

「津波は来るよ、海と一緒に暮らしてるのだからね」 私が淡々と話せば 娘はそれ以上に淡々と答えます。
「いちばんさきに たかいところに はしってにげるんだよね!」 さすがお姉ちゃん!心強いですね(「車は降りて走って逃げてちょうだいよ~」と付け加えておきましたが^^;)。

あの日迫りくる泥波を背に、夢中になって子供達と義母を3畳間に閉じ込めた時のことをふと思い出すことがあります。 3畳間のドアをほんの少しだけ開けて、「大丈夫だから、でも出ちゃダメ!」といって再びドアを閉め、窓の外の様子と階段からの浸水具合を観察していた自分を昔みた映画の主人公に例えるのなら、 映画「ライフ・イズ・ビューティフル」のように、どんなに過酷な環境でも子供達の前では、笑顔と陽気さを忘れず振る舞う強い親。そう、そんな強さはあったはずです。

1日目の夜中には、子供達に冗談を言って笑わせていました。2日目、1階に横たわっていた冷蔵庫から飲み物を発見した時には、効果音とお決まりのポーズ付きで子供達に飲み物を披露していましたし!

子供達の様子を記録しようと、小さな紙切れにメモを始めた時の心境は… 映画「クライマーズ・ハイ」で堺雅人演じる佐山達哉記者です。

目の前の現場に手も足も出ない、そんな状況ながらも地元新聞として書き伝えようという姿に自分もちょっと似ていたように思います。

まるで映画のような私の記憶です。
子供達の記憶に、私はどんな風に残っているのかな?


震災から1年

2012年3月16日

義父の1周忌法要を終えて,“震災から1年”経って思うことをここに残そうと思っていたのですが、なかなか文字に起こせずにいました。

日記を読み返してみると、確かにこの1年間、1日1日精一杯乗り越えて来た自分を感じることができるのですが、いま目の前にある暮らしからは何かを成し遂げ前進した自分を感じることができません。ちょっと見方を変えてみれば、周囲に影響されて動くか、決まり事に従って動くことが多い1年だったことにも気付きました。

「まるで大晦日の夜みてえだな」

一周忌法要の前夜、主人はそんなことを話していましたが、自宅や職場のある界隈が大津波に飲み込まれる映像をみると、突然声を上げて泣き出しました。主人が1年間こらえ続けてきた涙だと感じました。

「2年目は俺らなりの結果を出そう!」…主人はそういって涙を拭っていました。

「ママ~ここひろーい!!!じてんしゃきもちいいよ~」

子供達の笑い声に癒され、元気を貰いながら、2年目は私達家族なりの結果を出していこうと思います!!


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