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親子で防災・減災
地震・津波について


地震や津波に対する恐怖心について

2011年8月9日

※ブログの読者さんから届いた質問に対する答えを記録したものです。

●質問
「津波(地震)のことを時間が経ってから恐怖だと感じることはありましたか?また、子供達にそういう様子が見られた時、どのように接していましたか?」

●回答
避難所を離れ親戚宅に移動してから(3月末~)、強い余震の時だけではなく、緊急地震速報や津波や瓦礫の映像を見聞きする時にも「嫌だ!怖い!」と声を震わせる様子が見られるようになりました。避難所に居る頃は、強い余震が来ると、ただただ私の方に駆け寄り、じっと目を閉じているだけだったのですが、時間が経つにつれて、恐怖であることを言葉で伝えてくるようになりました。

娘が言葉で伝えるようになると、2歳の息子も真似をして「つなみ こわい」と涙声で話すようになりました。それでも、その都度「怖いよね」とだけ受け止めてあげれば、恐怖心からずっと抜け出せないでいる様子は見られませんでした。

また、地震が来たら走らず、焦らず、「ゆっくり“30”数えなさい」と教えていました。たいていの地震が揺れ始めから20秒程度で一番強く揺れ、後は収まっていく傾向を感じていたので、そう教えました(息子も一緒になって真似をしていました)。私もそれで気持ちを落ち着け、避難すべきか留まるべきか判別していました。子供達もこうすることで、自分から落ち着きを取り戻せるようになっていきました。

娘に、「津波はまた来るの?」と聞かれた時には、「強くてなかなか止まらない地震が来たら、また来るよ」と教えました。とても怖がっていましたが、「地震が来て揺れが止まったら 車から降りて一番近い高いところに大人と一緒に逃げれば大丈夫」と話しました。何回も繰り返し話していくと、こちらで言わなくても自分で説明できるようになりました。

一番悩んだのは、避難先から自宅の掃除に出掛ける時でした。自宅を掃除している間、子供達を2階の納戸に絵本や玩具、お菓子を預けて待たせておいたのですが、風が吹いて音がするだけで号泣してしまい、私は子供達のそばを離れることができませんでした。 帰りの車中でも娘は、「もう石巻には行きたくない!」「怖いし臭いし汚いし嫌!!」「石巻のお家には住みたくないもん!!」と涙ながらに訴えてきました。

「幼稚園に行けなくてもいいの?」と返すと声を詰まらせていましたが、大人がどんなに話をしても、変化することはありませんでした。 その後、「今日は出掛けるよ」と話す度に「石巻には行きたくないもん!」と言われましたが、こちらも子供達だけを残していくわけにもいかず、無理やり連れて行く状態が1ヶ月以上続きました。

娘が石巻行きを強く拒まなくなってきたのは、5月中旬位からでしょうか。
6月に入って、ボランティアさん達に家の泥瓦礫を綺麗に掃除してもらってからは明らかに変わっていました。

私が自宅で「ちょっとだけ木の香りがするよ!」と喜んでいると、「ほんとだね!ママ嬉しいの?こっちゃん(:娘)も何だか嬉しくなってきたよ!」と笑顔を見せてくれました。 景色が戻ってきました! 最近(7月~)では、石巻に行く事を全く嫌がらなくなりました。娘がそうなれば息子も一緒です。自宅2階に行っても、納戸で待たせておいても、怖がる様子、嫌がる様子はなくなりました。

「つなみ」 被災地のこども80人の作文集 2011年 08月号 [雑誌]

左の写真は昨日(7月14日)の様子です。
ひらがな混じりの作文や絵画を眺めながら 「みんなもたいへんだったんだね」と話していました。

●追記
私自身も、津波や強い揺れに対する恐怖心がなかなか消えずに居りました。実際の揺れや津波注意報に大しては比較的冷静に対応できたのですが、何時というタイミングではなく、時折ふいに「あの時車に乗っていたら流されていた」「家に大きな瓦礫がぶつかっていたら駄目だった」等、“あの時もしも…”という感覚が急激に伸し掛ってきて、それは物凄く恐怖でした。

心臓の鼓動が高鳴り、一瞬、息苦しくなるのです。 津波や瓦礫の映像を見た後には必ず、この恐怖を感じていました。正直、今もあります。ところがここ数日、その感覚も薄れてきたように思います。大きく深呼吸すれば、すぐに平静を取り戻せます。名残りもありません。もしかしたら、こうやって文章で記憶を明らかにしていく作業が、功を奏しているのかもしれません。


地震酔いとは?

2011年7月24日

私は地震酔いの症状を感じず、今日まで過ごしています。震災から4ヶ月以上経ちますが、地震酔いの典型症状である“揺れていないのに揺れているような”感じがして、目眩や吐き気を催す事はありません。

地震酔いは、車酔いや船酔いの症状と似ているのだそうですが、大きな地震の後は、不安や恐怖、精神的なストレスの影響との区別が難しい場合もあるそうです。多くの場合は、さほど重症にはならず対処できるそうです。

地震酔い、車酔い、船酔いの原因に共通しているのは、“視覚と平衡感覚(脳:三半規管)の間に生じる情報のズレ”であるといわれているそうです。地震で体が揺れているわけでもないのに、急激に視線・視点を変えたり(例えばPC作業中や車の運転中など)すると、それを地震であると脳が勘違いしてしまい、自律神経が興奮し、目眩や吐き気の症状を起こします。

私自身、地震酔いを起こさなかった理由を挙げるとするならば、「地震?」と感じた時点で、すぐ揺れを確認できる物を見るようにしていることが考えられます。例えば家であれば、照明からぶら下がる紐を見ます。屋外であれば、道路標識を見るようにしています。わからない時には、ラジオの速報を確認しています。これで自分に起きている感覚の程度を認識することが出来ます。

普段からこのような習慣があると、地震酔いを予防する事ができるかもしれません。しかしながら、精神的なストレス、長引く余震によって緊張の日々が続くことによる肩凝りなど(主に胸鎖乳突筋の緊張)も、地震酔いの誘発原因となり得ることも考えられます。強い地震の後は、とにかくリラックスする時間、できる場所を確保することも大切なのかもしれません。夜間良眠を確保することは、強い地震により混乱傾向にある平衡感覚を元に戻す効果もあるそうです。横になって目を瞑って休むことで、重力と身体の関係を穏やかに修復していくのだと思います。

以上、地震酔いについて私なりに解釈してみました。

※参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E9%85%94%E3%81%84


津波が来た時、どうして逃げなかったのですか?

2011年8月5日

※ブログの読者さんから届いた質問に対する答えを記録したものです。

●質問 「津波が来る前に、どうして逃げなかったのですか?防災無線は聞こえたのですか?」

●回答
私は近所の方が急いで車に乗り込み避難して行く姿を1階の窓から眺めていました。地震が発生してから20分位、ちょうど15時を過ぎた辺りから車の行き来が激しくなりました。道路を這う津波の先端を見たのはその後間もなくのこと。恐らく15時15分前後、地震から30分程で津波が襲ってきたのだと思います。

どうして逃げなかったか?…それは地震後すぐに訪れた義父に「ここに居て大丈夫だから」と言われたからです。

既に停電していたので、地震の情報も津波の情報も分からず、防災無線は何も聞こえず「なぜ皆急いで逃げているの?」と思いながら、外の様子を眺めていました。 義父と最期に交わした言葉が「大丈夫だから」で、義父はその後の津波に飲まれ我が家から数件先の自宅で亡くなりました。

私達は強い地震後の津波を甘く見て、逃げ送れたことで助かりました。
何が生死を分けたのか。私には未だ“奇跡”だったとしか思えません。 この国で海の傍に住まわせて貰っている以上、もっと海や地震、自然について知らなくてはならないと感じています。

津波が押し寄せた後の“引き波”について初めて知ったのは、大きな避難所で地元新聞を読んだ時でした。
改めて身震いがしたことを覚えています。

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